転倒がきっかけで、祖母が認知症になってしまった
徘徊はアルツハイマー型認知症の初期症状か
祖母が80歳を過ぎた頃から次第に足腰が弱くなってきて、散歩をするようになりました。
夕飯も近くなる夕刻に家を出て、車の交通量が多い幹線道路沿いの近所の公園の周辺を徘徊するようになってしまいました。出かけてくるとも言わずに、家族は家で仕事をしている隙に不意にいなくなってしまうのです。
近所の公園かその周囲に行っているんだろうと思い、探して連れ戻すことが数度ありました。祖母は公園にいて、何をするわけでもなくベンチに座ってぼーっとしていました。
出かける時はどこに行くか家族の誰かに告げてくれと言っても、何も言わずに近所を徘徊することを繰り返していました。もしかしてアルツハイマー型とかの認知症の初期症状じゃないかと家族で心配していた矢先、玄関先の段差につまづいた祖母は膝を悪くしてしまいました。
要介護3と認定されて
それからの祖母はあまり立ち歩かず、トイレに行く時以外は室内でも車椅子で移動するようになりました。介護用のベッドを借りて、臥せていることが多くなりました。介護保険の申請をすると、認知症で要介護3と認定されて、週に2回からデイサービスの利用を始めるようになりました。
もともとあまり社交的ではない祖母ですが、家族には甘えても外ではしっかりした対応を見せていて、最初の頃はいわゆるまだらボケの状態が続いていました。
認知症の症状がはっきり現れる前までは、祖母の日課が毎朝の新聞をじっくりと読むことだったのですが、それもベッドでの生活が始まるとできなくなってしまいました。畳に広げた新聞を、ルーペを使って隅から隅まで読み込むのが趣味のようなものだったのです。
認知症が進行してしまった行き末は
それから認知症の症状がはっきり現れてきました。
さっきまでしていた食事のメニューを忘れる、明日の予定を忘れる。などなど、日付や曜日の感覚がなくなり、時系列が混乱し始めました。トイレまでの歩行が間に合わなくなり、排泄物を漏らすようになったので、ベッドのすぐ傍に椅子型の簡易トイレを置くようにしました。
祖母の下の世話は実子である叔母が嫌がったので、やれるという母が進んでやるようになりました。叔母にとっては実母であるからこそ、弱って排泄の世話も他人に依存する母の姿を直視するのが辛かったのでしょう。
ある日往診した医師から腹部に大きな動脈瘤があると告げられました。80も半ばになる祖母に入院や手術等の苦痛を与えたくないということで、家族は祖母に手術はさせないことにしました。最後は動脈瘤が破裂し、救急車で緊急入院し、そのまま帰らぬ人になりました。
認知症であっても症状は重くなかったので、最後まで意識ははっきりしていたので、苦痛が大きかったと思います。もっと色々としてあげたかったと、今にして思います。
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