気づいたら祖母が認知症になってしまい介護はイライラさせられた
祖母が認知症になってしまったのはなぜか?
母方の祖母はもう10年ほど前に亡くなりましたが、最後は認知症になってしまいその介護は大変なものでした。
祖母は母方の叔母の元に暮らしており、近くの温泉宿の仲居さんとして定年まで勤め上げ勤労賞をもらうほど忙しく動き回っていた人でした。ときおりわたしたちの家にも遊びにくることがあり、祖母独特の料理などを食べた記憶があります。
わたしは18歳で地元から東京に出てきてそのまま就職しました。年に2回ほどしか実家に帰らず、叔母の家にはほとんど行っていなかったので「気がついたら祖母が認知症になっていた」という状態でした。
祖母に仕事を取り上げたのが認知症のきっかけ
もともと忙しく動き回っていた人なのですが、定年してからも家のことをいろいろとやろうとしたようです。しかし年のせいもあって、いろいろと失敗するし、もうゆっくり休んでもらおうということで、徐々に何もさせないようになっていったそうです。
もともと何か仕事を見つけてはそれを生きがいにしているような人でしたから、それらを全て取り上げられて、なにをしたらいいのかわからなくなってしまったようです。
認知症になるのはあっと言う間でした。まわりの家族も「気づいたらなっていた」という状態だったそうです。そうなってからは実に大変だったようです。
激しい物忘れで名前を間違えたり、怒りっぽいのは日常茶飯事。ありきたりですがご飯を食べたことを忘れて何度も要求する。さっきあげたと答えると、ご飯もくれないとわめき出す。真夜中に突然奇声を発する。徘徊する。とにかくイライラするといったらきりがないのでした。
祖母の介護の引き取りと母と叔母との関係
叔母が世話をしていたのですが、介護に疲れ果て、そんなときはわたしの実家に引き取ってきていました。
ほんの数回、わたしの帰省にあわせて認知症になってしまった祖母を見ましたが、活力が失せどこを見ているのかわからないように見えました。そしてそんな祖母を世話する母もまた、かなり疲れているようにみえました。
祖母は生きていれば90歳くらいのはずですが、あの年代の方は大変苦労している人が多くいます。
母は叔母、祖母の3人で暮らしていたそうです。高校生のときに突然、謎の女性が訪ねて言いました。「死んだ兄に子供がいることがわかり、やってきた。」と。つまり、この時点で母と叔母は姉妹共に違う父親だったと、その事実を初めて知ったのです。その後、叔母は結婚し嫁ぎ先の家に祖母も一緒に住むことになりました。
介護の辛さと認知症の恐ろしさとは?
母にとっても叔母にとっても親は祖母ひとりでしたので、最後の介護は本当に辛そうでした。なによりも名前を間違えられるのはとても苦しかったようです。
正直な話、祖母の葬儀の時「悲しい」というよりも、イライラから解放された「安心」の感情の方が多くありました。認知症は人間関係を変える、恐ろしい病だと考えさせられます。
ただ一人の肉親が認知症になってしまい、自分の名前すら忘れてしまう。介護のうえでこれほどイライラさせられることはないわよね。
お母さんもおばあさんとは離れて暮らしているから、気がついたらいつの間にか認知症になってしまうかもと、心配の種はつきていないわ。
おばあさんに会いに行こうにも、なかなか時間が取れないから帰省するチャンスも少ないので、代わりに子供達に行かせたりしているけど。
最近ではおばあさんとの電話も、できるだけ増やすようにしているわ。直接はダメでも電話での会話を増やすことで、少しでも脳の刺激になればとね。
ただ、親を楽にしてやりたいと気持ちで仕事を取り上げてしまうのは、逆効果よね。
なぜって、今まで仕事をして脳に刺激を与え続けてきたのに、それがなくなって何もやらなくなると脳に刺激が与えられなくなってしまうから、それこそ認知症の進行を早めてしまいかねないわ。
やはり、親のことを気づかいするのなら、今までどおりの仕事は続けさせてあげたほうがいいと、改めて考えさせられたわ。
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